文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

シュールは身近に在り

 風呂の湯に浸かりたる時などに、吾人ぢっと手を見つむること有り。生活苦のためには非ず。ただ手といふものを興味深く思へば也。

 日常の生活において余りに当り前に自然に駆使したれば気に掛からぬことなるが、この手といふものは実に奇妙なる器官なり。掌といふ一つの塊より数本の棒にょきにょきとまた整然と生え居りて、(関節の制限下に在りと雖も)吾人そのそれぞれを自在に動かすを得。象が鼻を実に器用に動かすを見て我々は驚けど、象は人間が指先を動かす器用さに驚くべからん。

 何気なく両手を並べ見るに、おほかた左右対称を成したることを認めて改めて面白がりなどもす。

 幼時、眠られぬ夜などに枕元の電灯によりて手の影を天井に映じて、色々に動かして楽しむこと有り。天井に映りたる手は、吾人の動きに応じたりと雖も、もはや独自に動き居れるが如く見ゆ。己れに備はれる器官なれど、否、己れに備はれればこそ、その滑らかなる動きに不気味さを覚ゆ。昔『アダムス・ファミリー』なる洋画に、手のみの化物ありしが、身近なるものも視点を変へて見ば恐ろしくも滑稽にも見ゆることを上手く表はしたりと思ふ。

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 かくの如く、身近なる物を先入観を捨てて清新なる気持ちにて見つめ直したる時に一種の超現実的なる印象を受くることあり。吾人そのやうなる経験を楽しく思ふ。

 月もまたその一例なりとす。

 吾人、夜空の月を見上げて驚嘆の念に打たるること有り。そのさま、巨大なる球体 空中にぽっかりと浮かびて静止せり、しかして人々はそのことを毫も気に掛けざるやうにして平然と歩きたり。是、まさしくシュールレアリスムの光景に外ならず。ルネ・マグリットの代表作の一つに、青空に浮かびたる巨石を描きたるもの有り(「ピレネーの城」)。あの絵の光景をシュールと言はば、何ぞこの夜空の月をシュールと言はざるべけんや。

 SF作家アーサー・C・クラークに、「充分に発達したる科学技術は魔法と見分くること能はず(Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic)」といふ有名なる格言あり。これに即して言はば、科学的知識の著しく欠落したる吾人にとりては大方の科学的現象は魔法と等しく見ゆる也。