文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

自転車教育を充実せしめよ

 近所の自転車屋に行きてヘルメットを購へり。自転車乗車時におけるヘルメット着用の努力義務化(4月より)に備へてなり。

 この度の措置は、自転車事故の継続的に多発せることを重く見てのことなるべし。

 ヘルメットの着用は事故被害の緩和を目的とするものにして、このことの重要性は言ふを俟たずとは言へども、一層重要なるは事故の予防なることもまた勿論なり。

 すなはち自転車教育なり。

 

 外を歩けばマナー違反、否マナー無知の自転車走行に嘆息せらるること多し。ながらスマホ、ライト不使用……殊に肝を冷さしむるは交叉点を減速なしに突き切る(または曲がる)さまなり。その先に人や車のある可能性を毫も思はざるその走りぶりは、吾人にとりて一種の戦慄を覚えしむるものなり。

 とは言ふものの、省みれば吾人もまた彼らと同様の非常識さを以て自転車に乗りたりしこと、認めざるを得ず。

 しかるに、吾人を「改心」せしめたるは何ぞや?

 それは、自動車教習所なり。

 教習の課程において、いかに執拗に左右確認を求められしことか! また車道を走る自転車の危険なることをいかに実感せしことか! あの体験のために、吾人の交通マナーへの意識は一新せられたりと言ひて過言ならず。

 されば、世間の無法なる自転車乗りの意識を改革せしむるには自動車教習所に放り込みて自動車の立場より自転車がいかに見ゆるかを認識せしむるが最上の方法なり、といふが吾人の信ずるところなれど……それは現実的の方策にあらざらん。

 されば、自転車専用の教習を義務化するといふが次善の策なるべし。読者諸賢も小学校にて経験せし人あらん。

 ただ吾人おもへらく、教習のキモは継続にあり。自転車の不注意運転のいかに危険なるかは、一回性の教習にて自覚せしむるあたはず。自転車免許制度が非現実的とあらば、保護者が一定時期付きっきりとなりて安全意識を叩き込むが、まさしく”保護”者としての義務にして使命なるべし。