文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

ガラケー者として生く

 吾人はいはゆる嫌煙家なり。その憎むべき点を挙ぐれば枚挙に暇あらず。されどいづれも月並みの意見なればここには割愛す。

 喫煙の害のこれほどまでに取り沙汰せられながら喫煙習慣の容易に絶滅には至らぬを見て、かねてより不可思議の思ひをなせり。しかるに近年、思ひもよらぬところを契機として、吾人は彼ら喫煙者の現況と心境とに思ひを致すこととなれるなり。

 その契機とは、スマートフォンなり。

 

 吾人はスマートフォンを持たず。また今後も持つつもりはなし。その理由もまた一つ二つにはあらねど、ここにては割愛せん(白状せば、その内のもっとも大きなる理由は「もし己がスマホを持たば必ず今以上のネット中毒に陥るべし」といふ懸念なり)。ただ一言(いちごん)せば、かやうなる高性能(その結果として高価格)の小型コンピュータを、世間の人々が総じて個人的に携帯せるといふ現在の状況をこそ、吾人はむしろ異常と思ひたるなれ。

 スマホの波はあまりに高し。還暦を過ぎたる吾人の父母さへ、先ごろ相ついでガラケーよりスマホに乗り換へたり。さようなる状況にも、あくまで「他人は他人、吾人は吾人」の態度を貫きて今に至れるなり。

 されどこのごろ徐々に、さやうなる態度を世間が許さざるやうになり来たるを、肌に感ずるようになれり。

 例へばコンサートのチケット。近年ことに問題となりたる転売行為なるが、これへの対策として、イベントの主催者はチケット購入者の身元確認を取るやうになれり。それ自体は大いに結構なることなれども、問題はその身元確認をスマートフォンによりて行ふところの出(い)で来たれることなり。換言せば、スマートフォンを持たざる者はそのイベントの客としてハナから対象外――といふ事態が、すでにそこここにて生じつつあるなり。

 また、これはつい先日の出来事なり、吾人は近頃ハマりたる『タローマン』のイベント(その名「タローマンまつり」)に足を運べり。しかるに、ウェブ上のアンケートに回答せばグッズ(めんこ形シール)をプレゼントすといふ告知を目にして、嬉々としてガラケーを以てそのサイトにアクセスせり。

 しかるに、アンケートのうちのある項目を入力するに能はざること発覚せり。すなはち、ウェブアンケートの仕様自体がガラケーを想定せざるものとなりたるなり。結局、めんこ形シールは指をくはへて諦むることとなれり。

 

 さて、かやうなる仕打ちを受けてガラケー者はいかなる感情を抱かんと、諸賢は想像し給ふや? 「ガラケーはもはや不便なり、いざスマホに切り替へん」?

 ――否、事実は不合理にも、その反対なり。

 理不尽の仕打ちを受くるたびに、ガラケー者は「ああ、かやうなる上は最後の最後まで徹底抗戦すべし」との思ひを、むしろ新たにするものなり。しかしてここに、あの憎き喫煙者の現在の心境を相察することとなれるなり。