文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

良き正月の過ごし方

 年末年始の良き過ごし方につきては、多くの人の悩むところなるべし。吾人もまた同様なり。

 とは言へ、年末につきては一の正答あり。それは《身辺整理》なり――最も典型的には大掃除。物理的にも抽象的にも、旧年のやり残しをなるべく片付けて埃を払ふことによりて、清(すが)しき心境にて新年を迎ふることを得(う)べし。

 かたや、年始の過ごし方につきては明瞭の正答は無きやうなるべし。締め括り方に比べて、取り掛かり方には一つの正解は無しといふことならん。

 かやうなる場合には、目的を明確化すること有効なるべし。すなはち、正月休みにおいて最も避けたきことは何か――それは、通例の休日と同じやうに過ごすこと、是ならん。

 となれば、正月休みの良き過ごし方とは即ち、《通例の休日に為したることを避くること》と《正月ならではの事に積極的に取り組むこと》、この2点に従ふことなるべし。

 1点目の《通例の休日に為したることを避くること》は、例へば「休日はだらだらとツイッターを見がちなるよ」といふ人は、正月休みにおいては意を決してツイッターを遠ざけよかし。それは短期的には意志に反するやうなれど、長期的には《正月らしく休む》といふ目的を歩むこととならん。

 いま1点の《正月ならではの事に積極的に取り組むこと》は、典型的には初詣で これに当たらん。事実、初詣でに行くことによりて「とりあへず、1つは正月らしきことを果たせり」と安堵したる経験を有する人は多かるべし。

 ただし、ここに言ふ《正月ならではの事》とは、何も世間的の範疇に従ふ必要は絶えて無し。1点目(=通例の休日に為したる事)と重複せざるやうに、普段あまり行はざることをば取り上げて、それを自己において《正月ならではの事》と認定するもまた大いに可なり。例へば、「プラモデルを作る」とか、「『スラムダンク』を通読する」とか、「水餃子をたらふく食ふ」とか――とにかく何かを決めおきて、それに忠実に従へかし。さすれば、それを実行することによりて正月を満喫したる気持ちを味はふことを得べからん。

 ――といふわけにて、あと数時間にて新年を迎へんとする吾人は、何を以て己の《正月ならではの事》とせんか、思案を重ねたる最中にあるなり。