文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

正月の正しき過し方(1)

 毎年毎年、正月休みをいかに過すが正解なりやと心悩ませつつ、結局釈然とせざる気持ちを抱きつつ仕事始めを迎ふる、常の例なり。

 思ひ返せば、幼時においては正月の過し方は至って明確なりき。年頭に獲得したるお年玉を(親の許す限り)使ひに使ひて玩具なり何なりを我が物とし、学校の始まるまでそれらを堪能しつくすのみ。

 他方 大人はさにあらず、何かにつけて悩むこと多し。まづ「成すべきこと」と「成したきこと」とのバランスの検討を要す。休みの内に少しなりとも仕事に着手したらば、休み明けの業務円滑ならんとす。さは言へ仕事に多くの時間を費やさば休みたる気持ち減衰す。これはこれにて、休み明けの業務にそこはかとなく(または如実に)影響すべし。

 また正月と言へばテレビなるが、之にしても、撮り溜めたる番組を消化すべしや(=成すべきこと)、或いは現今放送したる番組を見るべしや。録画の消化に終始せばいささか義務的の感あり、かたや流れ来る番組をその都度見るに終始せば受動的に過ぎて、充実感少なし。

 さればいかにせましや!

 吾人しばらく考へて、簡単なる答を得つ。子供に倣ふ、是なり。

 大人もまた子供と同じき行動原理に基づきて正月休みを過ごすべし。則ち、ひとへに「成したきこと」に注力すべし。「成すべきこと」など、平常時にせよかし。「休み中に仕事の準備をし置かざること」と「休みを休みとして享受せざること」とにては、定めて後者の方が後悔大きかるべければなり。

 さて「成したきこと」に注力せん際の要点は、まづ「成したきこと」を具体的に認識することなり。子供にとりては、成したきことは明々白々(お年玉にて購ひたるものにて心ゆくまで遊ぶ)なるが、お年玉なき我々にとりては、「正月休みに成したきこと」の明確ならざる場合 大いに有り。さる故、休みに臨みて「成したきこと」を意識し確認せざれば、満足感得らるる休日は実現し難し。

 また、積極性を敢へて排して漫然と過すことも休日を味はふ一方法たりとは雖も、この割合多くしてはまた満足感乏し。例へばツイッター2chまとめサイトの如きは一単位あたりの言語量小さければ、興趣を覚えたるには非ざるにもかかはらず止め時を失ひて延々と閲覧を続けやがて虚しさに苛まるること、吾人度々あり。悪しき漫然の典型例と言ふべし。されば、これらのメディアの閲覧も「見たし」と積極的に感ずる時のみに留むる理性を持つが良し。"漫然"は低程度にキープしつつ、成したしと積極的に思ふことに主たる時間を割くこと、正しき休日のために肝要なるべし。

 以上を要するに、「成すべきこと」にはこの際 目を瞑りて「成したきこと」に注力すること、またそれに先立ちて、自身の成したきことを具体的に見定むること。これ大人が正しき正月休みを過す要点なりとす。

 ところで、「成したきこと」の見つからざる場合にはいかにすべきか。その場合には、休日を用ゐて自らの成したきことを思案探求するが良かるべし。