文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

正しき恨み方(1)

 日本語のすべての動詞にはそれぞれ活用といふものあり。

 現代語の「する」といふ動詞を例にして言はば、「ない・て・するする時・すれば・しろ」と、かくのごとく文中の役割に応じて形を変ふるなり。

 一方 文語の文法(いはゆる古典文法)を見るに、口語(現代語)と同じ動詞なれども活用には相違あり。例へば上記の「する」の場合、古典文法にては「ず・て・する時・すれば・せよ」のごとく活用す。

 ただし、実際に文語文を読み書きする時にこれらの相違を動詞ごとにいちいち記憶する必要はなし。その故は、文語と口語とで、同じ動詞ならば活用のタイプも同一なるが原則なればなり。例へば「買ふ」といふ動詞は文語にても口語にても四(五)段活用なり。一般化して言はば、口語の五段活用動詞は文語にては原則として四段活用、上一段活用は少数の例外を除き上二段活用、下一段活用は全て下二段活用、といふ具合に対応するなり。

 されば、現代の口語からの類推によりて、古典文法の動詞は活用することを得。文法に異なりあるにもかかはらず活用を運用することの比較的容易なるは、いはば文語と口語とで背骨が共通したればなり。

 

 されども、この共通には例外も存す。その一つに「恨む」といふ語あり。

 口語においてはこの動詞は五段活用なれば、文語においてもそれに即して「恨まず・恨みて・恨む恨む時…」のやうに活用せさせんと考ふるが自然なり。しかるに、古典作品を見るにこの動詞は次のように活用せり*1

 世の道理を思ひ取りて恨みざりけり(源氏物語

  ・・・未然形の例

 ふる雪につもる年をばよそへつつ消えむ期もなき身をぞ恨むる蜻蛉日記

  ・・・連体形の例

 「何しに今宵ここに来つらむ」と恨むれば、(落窪物語

  ・・・已然形の例

 これらの例より、この「恨む」といふ動詞はかつて上二段に活用したりしこと明白なり。『日本国語大辞典』(第2版)によるに、現代語のごとき四段(→五段)活用の例の現るるは江戸時代まで下るやうなり。

 されば文語文においては、平安時代の語法に準拠すべしといふ考えにては「恨みず」のごとき上二段活用、より時代の下りたる語法にても良かるべしといふ考えにては「恨まず」のごとき四段活用、それぞれ標準とならん。

 さればいかにせましや?

 吾人のこのブログのごとき、言はばお遊びの文章ならば、別にいづれにても差し支へあるまじ。されどここに我々の想起すべき事柄あり。すなはち、例へば明治時代や大正時代には、この文語文 実用の書き言葉として広く用ゐられたりといふことなり。法律文に至りては、その口語化は戦後になりてのことなりき。よりて、上記の「恨む」のごとき事例につきて実務的なる観点より「いづれを用ゐるべきや」といふ問ひ生ずるわけなり。

 さてさて、これに答ふるがごとき形にて1905(明治38)年に文部省の告示したる文書あり。名づけて「文法上許容スベキ事項」なり。

 次稿にて、この「文法上許容スベキ事項」について少しく見てみんとす。(続く)

*1:底本は小学館・新編日本古典文学全集。国立国語研究所「日本語歴史コーパス」により検索。