文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

正しき恨み方(2)

 前稿の続き。

 「文法上許容スベキ事項」は全16項目より成る。全文はインターネットにて閲覧可能なれば*1、ここにてはその中より幾つかを取り上げて見んとす。

 まづ、前稿にて取り上げたる「恨む」については第1項にて下記のごとく説明あり。

一、「居リ」「恨ム」「死ヌ」ヲ四段活用ノ動詞トシテ用ヰルモ妨ナシ

 遡りては「居り」はラ行変格活用、「恨む」は上二段活用、「死ぬ」はナ行変格活用なるも、現代語より類推せらるるは四段活用なれば、これを "許容" すとの趣旨なり。

三、過去ノ助動詞ノ「キ」ノ連体言ノ「シ」ヲ終止言ニ用ヰルモ妨ナシ

 例 火災ハ二時間ノ長キニ亘リテ鎮火セザリ

 過去をあらはす「し」は現代にても古めかしさを出さんとする場合によく用ゐらるるものなるが、上の説明にあるごとくその終止形は「き」なり(×:鎮火せざり ○:せざり)。しかれど(「し」とは子音の異なれる故か)これはあまり用ゐられず、終止形にあたるところにも「し」を用ゐること多し。以て許容とせり。

十一、てにをはノ「トモ」ノ動詞、使役ノ助動詞、及、受身ノ助動詞ノ連体言ニ連続スル習慣アルモノハ之ニ従フモ妨ナシ

 例 数百年ヲ経ルトモ

   如何ニ批評セラルルトモ

   強ヒテ之ヲ遵奉セシムルトモ

 

十二、てにをはノ「ト」ノ動詞、使役ノ助動詞、受身ノ助動詞、及、時ノ助動詞ノ連体言ニ連続スル習慣アルモノハ之ニ従フモ妨ナシ

 例 月出ヅルト見エテ嘲弄セラルヽト思ヒテ

   終日業務ヲ取扱ハシムルトイフ

   万人皆其徳ヲ称ヘケルトゾ

 第11項はいはゆる逆接仮定を示す「とも」、第12項は引用を示す「と」につきてなり。これらは終止形に接続するものなれば、上掲例はそれぞれ「(ふ)とも」「批評せらるとも」等となるはずなり。しかれど終止形に接続する助詞すくなければ、これらも連体形に接続せさする例多きなり。

五、「ヽヽセサス」トイフベキ場合ニ「セ」ヲ略スル習慣アルモノハ之ニ従フモ妨ナシ 

 例 手習サス 周旋サス 売買サス

 「す・さす」(口語の「せる・させる」)は助動詞なれば動詞に接続す。口語にては「手習させる」「売買させる」のごとき表現まったく普通なれど、改めて見ば、これらは名詞に助動詞つづきたるものなり。されば「手習さす」「売買さす」のごときは、いはば口語に基づける文語法といふべし。

九、てにをはノ「ノ」ハ動詞、助動詞ノ連体言ヲ受ケテ名詞ニ連続スルモ妨ナシ

 例 花ヲ見ル

   学齢児童ヲ就学セシムル義務ヲ負フ

   市町村会ノ議決ニ依ル限リニアラズ

 かやうなる「の」の用法は口語には見られぬものなれば純粋なる文語法なるかと思ひきや、さにあらず。古くはなき語法なることは、つとに本居宣長の『古事記伝』にて指摘せられたり。漢文訓読の影響による語法と目せられ、近代文語文にても比較的いかめしき雰囲気の文章に好まるるもののごとし。

七、「得シム」トイフベキ場合ニ「得セシム」ト用ヰルモ妨ナシ

 例 最優等者ニノミ褒償ヲ得セシム

   上下貴賤ノ別ナク各其地位ニ安ンズルコトヲ得セシムベシ

 これも例多し。「得せしむ」の「せ(←す・さす)」と「しむ」とはいづれも使役をあらはすものなれば、2つ重ぬるは過剰なりとす。「得さす」乃至「得しむ」にて足れり。かやうに可能表現を重ぬるは他にも例ありて、口語にても「できうる限り」のごときあり。

 ところで「文法上許容スベキ事項」は「得せしむ」にのみ言及したれど、実際には「せしむ」といふ重複使役は「得(う)」以外の動詞にも続きうるは勿論なり。しかれば何故に「得せしむ」に限りて "許容" せりや、故を知らず。慣用表現として殊に頻用せられたるならんか。

 * * * * *

 以上、全16項より数項を拾ひいだせり。ここに "許容" せられたる数々の語法は、すでに大いに世におこなはれたれば最早 誤りと見なしがたしとて選ばれたるなるべし(当時 文語を書くことの一般的なりしことをよく示せり)。

 ところでその一方、同じく破格の例多く存しながら、この「文法上許容スベキ事項」に挙げられざる、すなはち "許容" せられざる語法もあり。その1つ、「仮定を示す『已然形+ば』」なり。

 平安時代までの言語資料を確認するに、モシ~ナラバといふ仮定条件は「未然形+ば」によりて示され(例:花さかば=花ガ咲イタラ)、他方「已然形+ば」は~ナノデといふ確定条件を示せり(例:花さけば=花ガ咲クノデ)*2。しかるに時代下りてこの「已然形+ば」も仮定条件に用ゐらるるやうになり、やがて「未然形+ば」を駆逐するにまでいたれり(口語文法にて「已然形」といはず「仮定形」といふは、この故なり)。以下に明治期の文語文より数例を挙ぐ。「もし」と共起したれば仮定の意味なること明らかなる例なり*3

(も)之ヲ爲セハ國民服セス

森有礼 訳「宗教」『明六雑誌』6、1874年)

 

其事若シ國家ノ安寧ニ害アレハ政府ハ自己ノ特權ヲ以テ嚴ニ之ヲ禁スル憲法ヲ示令スルヲ得可シ

加藤弘之 訳「米國政教(三)」『明六雑誌』13、1874年)

 

「ラプランド」人ノ中ニ於テハ若シ其族中病メルモノアレハ呪師ハ其前額ヲ吸ヒ其顏面ヲ吹ヒテ之ヲ治センヿ(こと)ヲ謀ル

(松下丈吉「未開の遺俗果て何れの所に滯在するや」『東洋学芸雑誌』5、1882年)

 さて、この語法の「文法上許容スベキ事項」に含まれざるは一体何故なりや。これにつきて、日本語学者の野村剛史は下記のごとき興味深き主張をしたり*4

しかしこの「已然形を仮定条件に使う」という現象は、かなり古く(鎌倉時代)から生じまた極めて一般的なので、当然「許容事項」として認めておかなければならないはずのものである。ところがこの点に触れると、不都合が生じる。「教育勅語」(明治二三発布)は次のように普通文で書かれている。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。「緩急アレハ」は已然形による仮定条件である(未然形は「緩急あらば」)。「已然形による仮定条件」を「許容」するとなると、「許容事項」は「教育勅語」を上から目線で「許容」することになる。しかし、「教育勅語」は「勅語」であって天皇のお言葉である。その勅語を「許容」などしてよいであろうか。許容事項に「已然形による仮定条件」が立項されていないのは、この点を考慮した可能性がある。冗談ではなく、「勅語を「許容」するのか」の如き揚げ足取りは、戦前の日本ではしばしば事柄の命取りになる可能性があった。

 つまりこの語法を "許容" に含まざるは、国家に恨まれざる、否、恨みられざるやうにとの忖度なりき、との説なりけり。

*1:http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hasi/kyoyo.htm
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992701/2

*2:注、ただし「已然形+ば」の用法はいますこし広く、ここに後世の混同の由来ありとす。

*3:用例は「日本語歴史コーパス」により検索。

*4:野村剛史『日本語「標準形(スタンダード)の歴史:話し言葉・書き言葉・表記』(講談社、2019年)、111頁。ゴチックは引用者による。