文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

ガキの遣ひにはあらぬぞかし

 吾人 軽佻浮薄を以て任ずる者なれば、大晦日の晩に見るテレビ番組は例年『ダウンタウンガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない○○○』是一択なり。この年末も同様なりき。

 流石に最初より最後まで見たるには非ず、また『紅白歌合戦』に贔屓の歌手の全然出ざるにも非ざれば折々はそちらにチャンネルを合はせもしけれど、主には『ガキ使』を見たりしに相違なし。

 マンネリ化を指摘せられて既に久しき番組なれど、今回は概して言はば楽しみたり。例へば初めの辺りにて「華丸・大吉」(芸人に非ず)が跳ね回りしシーンには腹を抱へて笑ひたり。また例年、いはゆる大物芸能人を出演せしむるシーンは面白くなき印象あれど、松平健のくだりなどは充分笑ふことを得たり。

 無論、個別に見ば退屈なるシーンも少なくなかりしかど、さやうなるシーンはそもそも真面目に見ざりしかば(読書なり何なりに移行す)、さしたる問題には非ざりき。

 よりて概ね満足なりと言ふべくも、ただし思ふところ無きにしも非ず。本シリーズの基本システムたる「笑ひたる者の尻をその都度 棒にて叩く」(文字化するに、つくづく酷きシステムぞ)のことなり。

 吾人 低俗の人間なればこのくだりにて笑ひ居ること再三ならざることは認めざるを得ざれど、ただ、面白さより痛ましさの勝りたりこともまた確かなり。田中へのタイキック、方正への蝶野のビンタなど、すっかり恒例になりたるが、残すべき価値ありとは思はれず。ただ気の毒に思ふのみ(否 即座に撤回す、恥をしのびて白状せば、方正へのビンタはやはり笑ひを禁じ得ざる吾人なり。しかし気の毒には違ひなし、継続を希望せる者に非ず)。

 されば、ありきたりなる進言かも知れざれど、「笑ふ度に叩く」は廃止し、その代はり、時間内に笑ひたる通算回数の最も多き者に罰ゲームを下すルールへと改むべしと思ふ。

 尤も、更に言はば「そもそも『笑ふべからず』『笑はば罰す』なるルール必要なりや」といふ疑問も生じ得べきなるも、そこを考へ始めば話が余りに広がりぬべければ、留めつ。今ただ「現状のルールは痛ましさ勝りて笑ひに繋がり居らず」といふ点をのみ注視せば、上記の通算回数制を用ゐば以て足るべしと主張す。