文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

贅沢とは何ぞや

 諸賢は「週末の贅沢」を有し給ふや。

 必ずしも快調ならざる日々のために疲労せる精神にリセットを掛け、来たる翌週に立ち向かはんために、これ多かれ少なかれ必要なる一作用ならん。贅沢として、ある人は高級の酒を一献傾くべし、ある人は甘き菓子を自らに許すべし。また遊興の場に足を運ぶ人もあるべし。

 吾人にも週末の一贅沢有り。「風呂の湯量を増す」是也。

 金曜日には自動給湯器の設定を変へて湯量を一段階アップす。之によりて大いなる満足を感ずることを得る也。

 この増量は、「毎日に非ざる」こと要点也とす。満足感の原因は、湯の多き自体には在らずして、日常と比較してランクアップせるを認識するに在れば也。これ贅沢の本質と言ふべし。


 それはそれとて、子供の時分にはよもや「風呂の湯の量」が贅沢の要素と成らんとは想像にだに及ばざりき。親元を離れ、湯が自らの裁量下に置かれしに伴ひて気付くに至れる真実也。吾人思へらく、贅沢は、制限下に在りながら裁量を発揮するによりて得らるるものならん。