文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

文語文の硬と軟と

 硬と軟とを使ひ分くるはエッセイの勘所と思はる。

 一例として、最近ナンシー関のエッセイ集を読み居れるが、かの人は「~である」式の硬き表現を旨としつつ、そこに「~だけど」「わからん」式の砕けたる表現を巧みに織り込む。更に「~ました」「~ですね」の如き丁寧体を稀ながら用ゐること、スパイスの如くして極めて効果的に響けり。

 また丸谷才一 エッセイにて「~だ」「~である」式を一応の基調としつつも「~でせう」「~ぢやないか」の如き語法を随所に織り込みて親しみある雰囲気とリズムとを作りたることも印象深き也。

 さて かやうなる硬軟の織り交ぜを、文語文にても成し得るや否や。

 まづ丁寧体は、選択肢としては「侍り」または「候ふ」によるならんが、「侍り」は古式に過ぎて用ゐ難し、勢ひ「候ふ」の使用と相成らんが、これはこれで、いはば「色」の付き過ぎたる語にして自然には使ひ難きかと思はる。ただ、ナンシー関が丁寧体を用ゐしが如く低頻度にて織り込む分には可ならんかとも思はる。実験致したく候。

 また、「~であるが」と「~だけど」との如き、硬軟の使ひ分けにつきては如何にせまし。文体的色合ひを付する方法としては、例へば和文調(~せさせ給へど、~まほし、の類)と漢文訓読調(いづくんぞ~べけんや、いはんや~をや、の類)の採り入れなど考へらる。前者は流麗優美・後者は荘重堂々の雰囲気を出だすに役立つべし。されど、硬軟の対比には寄与せざらん。何となれば、今の世に在りては和文調・訓読調、いづれも硬と感ずべくも軟とは感じ難ければ也。

 いま按ずるに、むしろ文法的以外の語彙によりて"軟"を表出すべきには非ずや。例へば台所・厨房と言ひ得べきところを敢へてキッチンと言ふが如き選択なり。またテレビゲームと言はば済むところをわざわざ任天堂スイッチと言ふが如き選択なり。

 文語文自体 現今の社会において明らかに"硬"に振り切ったる言語表現なる以上、硬軟のバランスは主として"軟の表出"に意を用ゐるべきかと思はる(さは言へ、「~と言はざる可からず」の如きゴテゴテしたる表現を放り込むもまた文語文の楽しみの一つなり)。

 

 

セブン-イレブンの牛肉コロッケを讃す

 吾人、小学生のころ買ひ食ひを好みたり。学校の帰りに通学路を少し外れて模型屋に入るも、月々数百円の小遣ひにては何を購ふことも能はず。ただひたすら物欲しげにガンプラミニ四駆やの箱絵を眺むるのみ。やがて店を出でて、隣にある肉屋にてコロッケを一つ購ふ也。確か六〇円なりきと記憶す。無論その六〇円だに持たざる時も多ければ、コロッケの買ひ食ひは当時の吾人の贅沢なりき。その肉屋のコロッケは、大きさは比較的小型に属すと雖も、俵形とまでは言はぬまでも厚みありて、中身にも密度を感じたりき。また衣は厚く、歯を当つる感触をも楽しみたり。

 

 さて吾人 買ひ食ひを好むことはその後も続きて、今では退勤の際 時折近所のコンビニに入りて言はゆるホットスナックを購ふを悪しき習慣とせり。色々のスナックを試し来たれるが、近時のマイブーム、コロッケ也。

 ここでやうやく本題に入れるが、諸賢は知り給ふや、セブン-イレブンにて販売せる「北海道男爵の牛肉コロッケ」八八円(税抜)が驚くべき高品質を誇れることを。

 大きさは前述の肉屋の如くやや小ぶりなれど、厚みは充分にあり。まづ注目せらるるは衣なり。周知の如くコンビニのホットスナックは既に調理せられて什器に陳列せられたるものを購入するなれば、アツアツの状態にて消費することを得るとは限らず、否むしろ殆どの場合には熱のいささか引きたる状態にて口に入るることとなれり。されどこの牛肉コロッケの衣は、そのやうなる状態にありても其の粒立ち明朗にして快活なり。吾人まづこの点に驚けり。

 また、中身も頗る良し。じゃが芋は完全なるペースト状にはあらで、形をやや残して食感に寄与せり。且つ具の密度は充分にして、味はひも立派なり。加へて、希望せばソースさへ呉るれば――吾人は(買ひ食ひなれば)普段は貰はざるも――これによりて味を変ふることも亦可也。「至れり尽くせり」とはまさにこの「北海道男爵の牛肉コロッケ」のための言葉なるべし。

 このやうに堂々たる仕様にして、値段僅か八八円(税抜)とは、これ豈に驚嘆せざるべけんや。昔ザ・ビートルズは「愛は銭もて購ふべからず(Money can't buy me love)」と歌ひけるが、愛は買はれねど束の間の幸福は八八円(税抜)にて手に入るるを得。その幸福は楕円形をしたる也。

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幸福の形

 

 

欲しけれどもなかなか買はれぬ物

 欲しけれどもなかなか買はれぬ物――吾人にとりては腕時計これに該当す。

 腕時計、之を趣味とする人は当然何本何十本と所有し給ふらし、しかるに吾人にはその度胸無し。なんとなれば、既に我が右腕には一本の腕時計(CASIO F-91W-1、当時868円)の巻かれたれば也。

 既に一本の腕時計を所有し、且つ全く以て申し分なき働きをし居る以上、これに加へて新たなる一本を購はんとすることに吾人は無視すべからざる心理的抵抗感を覚ゆ。これは言はば、時計を道具と見居るが故也。

 翻って、ここに別の見方有り。

 すなわち腕時計をファッションの一項目(アイテム)と見る見方、是也。例へば複数のジャケットやネクタイを使ひ分くるが如し――尤も、吾人は普段ジャケットも着ずネクタイも締めざるが――と考ふれば、腕時計を複数所有することも全く不合理に非ざる也(若しくは、複数のジャケットやネクタイを使ひ分くるは不合理也。これもまた有力の説なるべし)。

 さは言へど、ジャケットやネクタイと腕時計とは相異なれり。すはなち前者は衣類也、後者は機械也。衣類は同種の物を複数所有すること自然なれど、機械はさに非ず。携帯電話もタブレットデジタルカメラもビデオデッキも、吾人各々一つを所有せるのみ。如何に日々身に伴ふものとて、時計をその例外とせんとの決心に至ることは是 難し。

 されば、様々の要素重なりてこの決心に至れる場合においてのみ、やうやく吾人新たなる腕時計を購入することを得。「様々の要素」としては、例へば次の如きもの有り。

 

(1)希求:そもそも欲しからずんば新たなるものを購ふ必要なし。

(2)希求の正当化:例へば、現在使用せるものの故障 乃至 紛失。これ起こらば比較的躊躇なく新たなるものの購入に至る。その他、「いま欲しきこの○○は既に所有せる××とは異なれり」と自己 乃至 他者を説得するに足る理由(例:より多機能なり、より高性能なり、より簡便なり)。

(3)適切なる機会:例へば誕生日、クリスマスなど。家族より「何を欲するや」と問はれて「何も欲せず」と答ふるは印象悪かるべし。

 

 さて、かやうなる諸要素の複合的に生じたる(または生ぜしめたる)結果として、吾人ここに目出度くGショックを入手する運びとなれり。まづはサンタクロースに感謝すべし。

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満足

 

 

正月の正しき過し方(2)

 この話の続き也。

 

 さてかやうなる理屈を立てて、吾人は実際にはこの正月休みをいかに過せしか。前稿にて述べたる要点は、(1)成したしと積極的に思ふことに注力すべし、(2)”漫然”を低程度に抑ふべし、の二点なり。

 吾人、まづ(2)を確保せんがため、これにとりての一大障害なるインターネットの使用を戒めつ。具体的には、大晦日・元日の二日間は原則としてネットに触れざりき。また正月二日以降も、積極的にネット見たしと思へる時以外は見ぬやうに努めたり。これによりて、"漫然" を著しく節減することを得。(2)は大いに成功したりと言ふべし。

 続いて(1)なるが、まづ旧年の暮れに「正月に読む/観るべし」とて買ひ置きたるコミック(島本和彦『新 吼えろペン』全11巻)とDVD(玉置浩二『We Can Believe in Our “JUNK LAND”』)と有りければ、これを賞味しつ。またナンシー関のエッセイや発作的座談会(椎名誠沢野ひとし木村晋介目黒考二)など読みて楽しみつ。この他、長めの散歩を二度成す、『リングフィット アドベンチャー』にて運動す、などのこと有り。積極的行動を重視したればにや、テレビを見る時間は例年より随分減りたるやうなり。

 但し(1)につきては反省点も有り。より正月の特別感を演出する工夫あるべかりけん。例へば、上のやうに色々の本を言はばつまみ食ひ的に読みたる結果、普段の読書とあまり変はり映えせざる様となりき。むしろ一点豪華主義とすべかりきかと思はる(かと言ひて、一つにこだはるも却って義務的の感 生ぜんか。難しき問題なり)。また、散歩も思ひつきのものなれば只の散歩なりき。双眼鏡を持ちいだして鳥見を兼ぬる等の工夫あらましかば一層良からまし。計画性の不足悔やまるるなり。

 さは言へ、概して言はば事前の方針を反映して良き過し方なりきと思ふ。ただ惜しむらくは、暦の都合にて新年の休日としては三日のみなりしことなり。いま二日、否いま一日あらば、「今や とく仕事にかかりたし」と感ずるほどに休日を堪能しつらんと思ふ。その点いささか残念なりとす。

 今回試みたる基本方針を保持し、且つこれらの反省を活かして、一年後には一層正しき正月の実現に努むる所存なり。

 

 

幸福なる日

 吾人、二年半前より大阪府T市に暮らし居るが、自宅の近所に一頭の犬を飼ひたる家有り。通勤の度その家の前を通る。

 朝の通勤時には姿見えざるが、夕の退勤時には、主人を待ちたるか、門扉の後ろに居ること多し。大型犬に属す。イングリッシュシープドッグの雰囲気 少しくありと雖も毛量さまで多からず細身に見ゆ、雑種なるべし。右目は白く濁りて、老犬ならんと思はる。

 吾人 犬を大いに好みたれば折々は彼に近づきたることありしも、互ひの目 合へば吠えらるること常なり。さればやや距離を取りて様子を楽しむことを習慣としたりき。

 

 さて今朝、仕事始めとて重き足をひきずりひきずり駅に向かひ歩みたれば、普段と異なりたる点有り。件の犬、門を出でて座りたるなり。主人 家のまはりを掃除したる間、さやうにして待ちたるなるべし。

 吾人、やや覚悟をきめて犬の前にかがみ、おづおづと手を差しいだせり。犬、吠えもせずまた逃げもせず。吾人がぎこちなく撫づるに任せたり。吾人いささか驚きつつも撫で撫でを楽しみつ。外飼ひなればにや、密なる毛並みには色々の塵埃絡まりて、撫づる我が両手を汚したれど、毫も気にかからず。

 おほよそ満足したりて、さて通勤を再開すべしと、撫でたる手を引きつ。されば、あに図らんや! 彼の犬、前脚を伸ばして我が腕を引きとどめ、撫で撫での継続を催促せり。

 なんぞ応へざるべけんや。かくして、撫で撫で→腕を引く→前脚にてそれを留む、を数回繰り返したり。

 

 やがて主人 掃除を終へて家内に戻らんとせしかば、犬それに反応して吾人の元をつと離れつ。主人 犬の名を吾人に教へ呉れ、吾人 礼を言ひて再び駅へと歩みいだせり。かくして幸福なる時間は終はりを告げたり。

 

 駅の厠へ入りて手を洗ひつ。手指の汚れは落つとも心中には老犬の姿と感触とありありと残りたり。幸福なる時間ははや終はりつれど、今日は依然として幸福なる日にあり続けたるなり。

 

 

正月の正しき過し方(1)

 毎年毎年、正月休みをいかに過すが正解なりやと心悩ませつつ、結局釈然とせざる気持ちを抱きつつ仕事始めを迎ふる、常の例なり。

 思ひ返せば、幼時においては正月の過し方は至って明確なりき。年頭に獲得したるお年玉を(親の許す限り)使ひに使ひて玩具なり何なりを我が物とし、学校の始まるまでそれらを堪能しつくすのみ。

 他方 大人はさにあらず、何かにつけて悩むこと多し。まづ「成すべきこと」と「成したきこと」とのバランスの検討を要す。休みの内に少しなりとも仕事に着手したらば、休み明けの業務円滑ならんとす。さは言へ仕事に多くの時間を費やさば休みたる気持ち減衰す。これはこれにて、休み明けの業務にそこはかとなく(または如実に)影響すべし。

 また正月と言へばテレビなるが、之にしても、撮り溜めたる番組を消化すべしや(=成すべきこと)、或いは現今放送したる番組を見るべしや。録画の消化に終始せばいささか義務的の感あり、かたや流れ来る番組をその都度見るに終始せば受動的に過ぎて、充実感少なし。

 さればいかにせましや!

 吾人しばらく考へて、簡単なる答を得つ。子供に倣ふ、是なり。

 大人もまた子供と同じき行動原理に基づきて正月休みを過ごすべし。則ち、ひとへに「成したきこと」に注力すべし。「成すべきこと」など、平常時にせよかし。「休み中に仕事の準備をし置かざること」と「休みを休みとして享受せざること」とにては、定めて後者の方が後悔大きかるべければなり。

 さて「成したきこと」に注力せん際の要点は、まづ「成したきこと」を具体的に認識することなり。子供にとりては、成したきことは明々白々(お年玉にて購ひたるものにて心ゆくまで遊ぶ)なるが、お年玉なき我々にとりては、「正月休みに成したきこと」の明確ならざる場合 大いに有り。さる故、休みに臨みて「成したきこと」を意識し確認せざれば、満足感得らるる休日は実現し難し。

 また、積極性を敢へて排して漫然と過すことも休日を味はふ一方法たりとは雖も、この割合多くしてはまた満足感乏し。例へばツイッター2chまとめサイトの如きは一単位あたりの言語量小さければ、興趣を覚えたるには非ざるにもかかはらず止め時を失ひて延々と閲覧を続けやがて虚しさに苛まるること、吾人度々あり。悪しき漫然の典型例と言ふべし。されば、これらのメディアの閲覧も「見たし」と積極的に感ずる時のみに留むる理性を持つが良し。"漫然"は低程度にキープしつつ、成したしと積極的に思ふことに主たる時間を割くこと、正しき休日のために肝要なるべし。

 以上を要するに、「成すべきこと」にはこの際 目を瞑りて「成したきこと」に注力すること、またそれに先立ちて、自身の成したきことを具体的に見定むること。これ大人が正しき正月休みを過す要点なりとす。

 ところで、「成したきこと」の見つからざる場合にはいかにすべきか。その場合には、休日を用ゐて自らの成したきことを思案探求するが良かるべし。

 

 

ガキの遣ひにはあらぬぞかし

 吾人 軽佻浮薄を以て任ずる者なれば、大晦日の晩に見るテレビ番組は例年『ダウンタウンガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない○○○』是一択なり。この年末も同様なりき。

 流石に最初より最後まで見たるには非ず、また『紅白歌合戦』に贔屓の歌手の全然出ざるにも非ざれば折々はそちらにチャンネルを合はせもしけれど、主には『ガキ使』を見たりしに相違なし。

 マンネリ化を指摘せられて既に久しき番組なれど、今回は概して言はば楽しみたり。例へば初めの辺りにて「華丸・大吉」(芸人に非ず)が跳ね回りしシーンには腹を抱へて笑ひたり。また例年、いはゆる大物芸能人を出演せしむるシーンは面白くなき印象あれど、松平健のくだりなどは充分笑ふことを得たり。

 無論、個別に見ば退屈なるシーンも少なくなかりしかど、さやうなるシーンはそもそも真面目に見ざりしかば(読書なり何なりに移行す)、さしたる問題には非ざりき。

 よりて概ね満足なりと言ふべくも、ただし思ふところ無きにしも非ず。本シリーズの基本システムたる「笑ひたる者の尻をその都度 棒にて叩く」(文字化するに、つくづく酷きシステムぞ)のことなり。

 吾人 低俗の人間なればこのくだりにて笑ひ居ること再三ならざることは認めざるを得ざれど、ただ、面白さより痛ましさの勝りたりこともまた確かなり。田中へのタイキック、方正への蝶野のビンタなど、すっかり恒例になりたるが、残すべき価値ありとは思はれず。ただ気の毒に思ふのみ(否 即座に撤回す、恥をしのびて白状せば、方正へのビンタはやはり笑ひを禁じ得ざる吾人なり。しかし気の毒には違ひなし、継続を希望せる者に非ず)。

 されば、ありきたりなる進言かも知れざれど、「笑ふ度に叩く」は廃止し、その代はり、時間内に笑ひたる通算回数の最も多き者に罰ゲームを下すルールへと改むべしと思ふ。

 尤も、更に言はば「そもそも『笑ふべからず』『笑はば罰す』なるルール必要なりや」といふ疑問も生じ得べきなるも、そこを考へ始めば話が余りに広がりぬべければ、留めつ。今ただ「現状のルールは痛ましさ勝りて笑ひに繋がり居らず」といふ点をのみ注視せば、上記の通算回数制を用ゐば以て足るべしと主張す。

 

 

人吉よりの贈り物

 新年早々、吾人宛てに一つの封書届けり。送り主は人吉市役所とあり。

 開けてみるに、今年のカレンダー也。人吉の色々なる場所の写真を配せり。

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 昨年、コロナ禍のため国が送りたる給付金の大方を、吾人は七月に生じたる二つの災害への義捐金に充てつ。一つ、モーリシャスにおける重油の流出事故、今一つ、熊本県を中心とする豪雨被害なり。

 

 吾人は熊本県に縁故なき者なれど、また吾人 旅行を趣味とする者にあらざれど、人吉は兼ねてより訪れたく思ひたるところ也。その理由は単純且ついささか奇妙にして、ひとへに「雉馬」の故也。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/雉子車

 雉馬(雉車とも言ふ)は雉と馬とを混じたるが如き姿の民芸品なり。この雉馬、吾人の幼時、祖母の家の玄関に飾られ居り。吾人これに愛着を覚ゆ。されど祖母の家すでに無く、その雉馬もいづことも知れず失せぬ。改めてこれを手に入れんこと、兼ねてよりの吾人の希望なり。

 人吉、この雉車の名産地と聞く。祖母宅の玄関に飾られたりきは勿論数センチの小さき玩具なりしかど、人吉には人の大きさほどなる物も置かれたりと聞く(上掲カレンダーの二つ目の写真右下を見られよ)。いつか彼の地を訪れて、これらの大なる雉車によりて目を楽しましめ、併せて自宅に飾らん小なる雉車を購ふべしと思ひたりき。

 さやうなる思ひはあれど実行には移さず居りたる所に、コロナ禍、更に豪雨被害と、訪るること容易に叶はぬ状況となりき。されば、いつ訪るるを得んとは知られねど、ともかくも早期の復興を願ひて吾人の給付金の一部を充てつる也。

 と言ふわけにて、このカレンダーは微志に対する返礼品なるべし。

 

 寄付のために却りて手間を取らするは心苦しきことなれど、人吉の様子を写真にして知らせ呉れたるこのカレンダーは、復興を願ふ者にとりて大いに快き贈り物なり。実際に訪問することを得る日までは、之に依りて彼の地に思ひを馳すべし。

 

 

2020年の "当たり" 買ひ物 3選

#買って良かった2020

 

第3位 G-SHOCK(DW-5600WM-5JF)

 吾人これまで腕時計はアナログ派なりしが、数年前仕事にて海外へ続けて行く機会ありて、紛失すとも惜しからざるものをと思ひていはゆるチープカシオのデジタル時計を購ひけるに、なかなかに気に入りたり。また先日たまたま好みに合ふデザインのものを見付けたるによりて新たに購ひたるが、このDW-5600WM-5JFなる品名(記憶せるには非ず)のGショックなり。

 アースカラーと称して、地層をイメージしたる色合ひなり。これ意外に色々の服に合ひたるやうに思はれて、いよいよ気に入りたり。

 腕時計としての機能はチープカシオ充分に果たせりとは思へど、このGショックを付けてみれば、まづ視認性の良きことに驚けり。この点、チープカシオのみならずアナログ時計と比べても利するところありと思ふ。また暗所用の文字盤の発光も明瞭なり(チープカシオは発光ごく部分的にして、相違大なり)。

 腕時計につきては本格的にアナログ派を離れてGショック派に宗旨替へせられんかとまで思はしめたる一品なり。


第2位 JBL FLIP 5

 吾人自宅にては主にノートPCより音楽を流せり。コロナ禍のため在宅勤務中心となりたれば、自宅のオーディオ環境を向上せさせんと思ひて購入したるBluetoothスピーカー是なり。

 モノラル・スピーカーなれば広がりを求むる音楽には不向きならんが、そのぶん音の塊を感ぜしむるか、吾人の普段聴きたるロックやポップスをば概ね満足せらるる音質にて鳴らせり。また彼のJBLだけありてジャズを流したればウッドベースを良く感ぜしむ。

 加へて、Bluetooth則ち無線なれば、音楽を止めずして家の中を自由に持ち歩くことを得。仕事の場所を変ふともBGMはそのまま傍らに有りといふわけにて、是は実に便利なり。先日の大掃除にても大いに活躍せり。デザインも良し。


第1位 リングフィット アドベンチャー

 堂々一位。これもコロナ禍に関はりたり。通勤なくなりてただでさへ不足したる運動量のいよいよ減少せるをフォローせんがためにプレイし始めつ。結果的に、これはここ数年にて一番の"当たり"買ひ物なりき。

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game
 

 ゲームとして楽しくフィットネスせしむる工夫に富みたれば、高校卒業以来途絶したる運動の習慣を之によりて再獲得したり。またそれは、それ単体として我が身体の健康に寄与したらんのみならず、我が精神衛生上にも明確に良き影響あり。コンピュータに一日中向かひたるとかく鬱屈しがちなる生活において、コンピュータより離れてリングフィット アドベンチャーの運動に興ずるは恰好のリフレッシュとなれれば也。同様の生活をしたる人々に推薦す。


 偶然ながら3点とも1万円前後の価格なりき。

 なほ"当たり"の買ひ物ある以上、"はづれ"の買ひ物もまたあるが世の条理なるが、それにつきては思ひ出すだに腹立たしければ、敢へて述べず。

 

 

鳥見

 吾人が今年始めたる趣味の一つに「鳥見」あり。いはゆるバード・ウォッチングのことなるが、文語文のため吾人が無理に漢語にしたるには非ずして、この趣味の人には今なほ用ゐらるる語なり。

 かねてより鳥に関心は有り、殊にアヒルカルガモなどの水鳥を愛好せり。ただ鳥の識別の知識は殆ど無きに等し。

 関心を深むるきっかけは吾人の住みたる地域にて行はれたる鳥見の会なり。今年の初春に何気なく参加したるが、思ひのほかに良きイベントなりき。日本野鳥の会の会員ら指導役として幾人も参加したりて、彼らが目敏く見付けたる色々の鳥を、彼らが適切に設置し呉れたる高級の望遠鏡にて見ることを得。またそれらの鳥の名を一つ一つ教へ呉れたること勿論也。

 これら、いづれも素人には成し得ざることなり。素人はまづ鳥を見付くる能はず。もし見付くとも双眼鏡を適切に合はする能はず。もし合はすとも貧弱の器具にては精彩に見る能はず。もし精彩に見るともその鳥の名分からず。

 この有意義なる会の帰り道に、近隣に生息する野鳥を紹介せる小冊子を早速購ひて、近所を歩く時には鳥への注意を増しつ。また時々は双眼鏡を携ふることもあり(ただし比較的山の方へ足を伸ばしたる時のみ。住宅地にて双眼鏡を使ひたらば目的を誤解せらるる恐れ有ればなり)。

 今まではスズメ・カラス・ハト・ツバメ・トンビ以外の鳥は知らざりしを、ムクドリメジロセグロセキレイヒヨドリイソヒヨドリシジュウカラ等、水鳥にてはカルガモやサギ以外にもマガモヒドリガモオオバンキンクロハジロカイツブリ等をやうやう覚えたり。これらあまりに平凡の鳥なりと玄人は定めて笑ひぬべけれど、吾人にとりては長足の進歩にて、身の回りの鳥たちへの認識を深め目を一層楽しましむることを得つ。

 吾人は(差し当たり)鳥見に珍しさを求むる者に非ざれば、スズメなりとも面白く見たるが(彼らの水浴びの可愛さよ)、珍しき鳥に遭ひて感興を催すことも無論有り。その点、これまでのところジョウビタキを二度見かけたるは嬉しき思ひ出なり。

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ジョウビタキ

 幼時、吾人の家にキビタキの置物あり。一度見てみたき鳥なり。

 

 

楽しきレット・イット・ビー

 ザ・ビートルズの活動期間中に制作せられし映画の内、『レット・イット・ビー』(1970年)のみは現在に至るまで公式にソフト化せられ居らず。彼らの代表曲(の一つ)を名に冠する公式映画なるに未だソフト化せられず(VHSもDVDも也)とは、ファンならざる人にとりては不思議に思はるべし。他方、この映画を実見したる人にとりては、未ソフト化の理由、顕然たり。

 暗き故なり。

 本作は(のちに『レット・イット・ビー』として発表せらるる)アルバムのレコーディング・セッションの様子を捉へたるドキュメンタリー映画なるが、セッションの雰囲気の良からざること明らかにして、バンド内の軋轢を窺はしむるに充分なり(とは言へど、マジに険悪なる場面は当然カットせられたらんが)。のみならず、スタジオ(有名なるアビー・ロード・スタジオには非ず)の風景も、如何にも寒々しく見ゆ。

 ビル屋上にてのゲリラ・コンサートの様子は素晴らしくはあれど、全体的には観客を楽しましむとは言ひ難きムードなりき、と記憶す。未ソフト化 宜なるべし。

 さて、この時期のビートルズを題材とする新たなるドキュメンタリー映画が制作せられたることは以前より知りたり、また「あのセッションのポジティブなる面を示す」といふ趣向なることも聞き及びては居たり。さうして先日、映画の雰囲気を示す動画 公開せられつ。


The Beatles: Get Back - A Sneak Peek from Peter Jackson

 これは・・・吾人の予想以上なり。予想以上に、彼ら四人は楽しげに振る舞ひたり。これは見たし、さう思はしむる映像なり。

 按ずるに、「真実」は旧映画と新映画との"あはひ"のいづこかに在るべし。則ち、あのセッションにはネガティブなる面とポジティブなる面との両方存せしならん。前者は、旧映画にて既に窺ひつ。されば新映画にて後者を見ること、歴史の真実に一歩近付くものと言はば言ふべし。

 とまれ、険悪ムードなりしものとしてファンには知らるる晩年のビートルズの、楽しげなるレコーディング風景を、美麗なる映像(驚くほど美麗なり。レストア技術に感嘆せらる)にて鑑賞する――これ大いに楽しみとせざるべからず。

 新映画『ザ・ビートルズ:ゲット・バック』は、本来は(旧映画の公開50周年となる)本年に公開の筈なりしが、コロナ禍のため延期せられぬ。来年に公開せらるる予定なり。上の映像は、鑑賞の日を心待ちにせしむるものなればファンは須くチェックすべし。

 

 

インディアンス

 有り体に言ひて、今年のM-1グランプリは期待に及ばざるの感 大なりき。

 ・・・と言はんよりは、去年余りに豊作なりきと言ふべき歟。去年は最終戦の三組を見て結果発表を待つ間、「いづれのコンビ優勝すとも納得なり」と思へり。いま思へば幸福なる時間なりきと言ふべし。他方、今年の同じ時間には「いづれのコンビ優勝すとも不服なり」との感ありき。

(念のため言はば、決勝に進みたる三組とも、第一ラウンドにては面白かりき。されど最終戦は三組いづれも勢ひ落ちたるを感ぜり。ただ、あの三者にて言はばマヂカルラブリーが一等なるべしとは思ひたれば、結果には異存なし。マヂカルラブリーは(この三者間にては)第一ラウンドも最上なりき)

 さて吾人の感想にては、今回最も面白き漫才を披露せしは、敗者復活して且つ一番手を務めしインディアンスなり。


インディアンス【決勝ネタ】1st Round〈ネタ順1〉M-1グランプリ2020

※今年より公式動画の公開されたるは吉報なり。

 

 インディアンスは、吾人のよく視聴したる『にちようチャップリン』の常連なり。そのため彼らが決勝戦に勝ち上がりたるを見て、親が子を見守るがごとき気持ちしたり。されど、吾人がM-1にてのインディアンスを高く評価するを、単に贔屓目によるものと見なし給ふべからず。

 元々彼らの漫才は田渕がマシンガンの如くボケ倒すところに魅力ありとす(手数多き漫才は吾人の好むところなり)。よりてインディアンスの魅力=田渕の魅力と見なされがちなるべし、また吾人もそのやうに思ひたりき。

 しかるに今年のM-1にての彼らはさにあらず。何となれば、田渕のボケを捌く"きむ"にもまた高き技術の認められたれば也。田渕のボケは明らかに少なからぬアドリブを含みたり、されどきむは的確にそれらに突っ込めり。言はば二人が二人して当意即妙に会話を盛り上ぐる、理想的なる一回性の漫才を現出し得たりと評すべし。

 されど順番の不運もありてか、彼らは優勝はおろか決勝にだに残る能はず。彼らのほか今回のM-1にて吾人が殊に面白く思ひしはニューヨークと錦鯉(いづれも事前の印象は宜しからねど、実演を見て印象を改めつ)なりしも、いづれも決勝進出かなはざるは至って残念なり。もしこの三者にての決勝を見ること得ましかば、今年のM-1への吾人の印象も随分異ならましを。

 

 

文語文を書く人

 吾人がかやうなる文章を書き始めたる理由は、かやうなる文章を読みたしと自身が思へば也。文語文を用ゐて現代のことを書き記したる軽きエッセイ的の文章を読みたしと思へり。

 しかるに検索すれど管見に及ばず。商業作家はおろか、ブログ等にてもかやうの文章を発表せる人を見付くること未だ能はず。ツイッター等を見居るに、旧仮名遣ひや旧漢字を用ゐて文を綴る人はさまで珍しからず。他方、文語文を用ゐたる人をトンと見かけざるは不思議に思はる。

 いかにせよ、もし存在せざる文章を読みたしとせば、自身で書く外に手段これ無し。

 

 文語文でエッセイを書く人のかくも稀なるは何ゆゑぞや。これはエッセイに限らず小説類においても同様と思はる、則ち散文における事象也。言ふまでもなく、短歌や俳句などの韻文詩においては今もなほ文語を用ゐること一般的也。唐突なる話なるが、吾人が母 数年前に突如短歌を詠むことを始めたり。文体には文語体を選びて、辞書を引き引き、吾人にも電話やメールにて尋ぬること有り。

 「背伸びせで慣れたる口語にて詠ませ給へかし」と言へど「口語にては格好付かず」と答ふ。文語にて定型詩を詠みたる近代の歌人に現代も人気有る者多し。かく言ふ吾人も能力だに叶はば「白鳥は悲しからずや」の如き歌詠みたし。

 かやうなる事情にて定型詩におきては今なお文語文法廃れざるならんと思はる。アマゾンにて「文語」を検索しても最も目に付くは俳句のための指南書なり(それに継ぐは聖書なり)。

 また散文詩につきては如何。上田敏堀口大学の如きは現代にも人気有りと思はるれば、文語文の散文詩を実践し給ふ人も有るべしと思はる。但し未だ実見はせず。

 翻りて文語の随筆や小説の現在行はれざるは如何。これは、先ほどの詩歌の状況の裏返しなるべし。則ち、近代の文語体の小説や随筆に、現代の読者をして模倣せんと思はしむる作品の乏しきが故ならんと思はる。

 但しこれは勿論、魅力的なる文語散文が現実に乏しきにはあらずして、結局は文語散文の習慣が廃れしためにこの種の文章にアクセスせらるることの極めて稀になりたればならん(『舞姫』は例外中の例外なるが、かの作品が高校生をして文語文の魅力を伝えたるや否や、吾人覚束なし)。則ち文語の散文が近代の内に口語文に駆逐せられ、なほ倦まず文語文を書き続けたる商業作家の無かりしことが、詮ずるところ大元の原因なるべし。

 現代にても文語体の詩歌に魅力を覚ゆる人少なからず。また詩歌に現代的要素(コンビニ、携帯電話、コロナ禍等々)を題材として採り入れつつ文法は文語とする形式を面白く感ずる人もあるべし。されば、散文にて同様のことを成したる物にも興趣を覚ゆる人、定めて有るべしと思ふ。

 吾人その一人なれば、かやうに書きいだすこととなれる也。

 

 

ウルトラマンZ

 吾人が『ウルトラマンZ』を視聴し始めたるは全くの偶然に由来す。

 七月のある金曜日、吾人は積もりたる仕事を脇目にウインダムについて検索し居れり。言ふまでもなくウインダムは『ウルトラセブン』に登場せるカプセル怪獣の一也。『セブン』を見たる人には周知の通り、極めて愛嬌ある動きをするキャラクターにて、吾人兼ねてより彼を愛好せり。かの日の検索の理由は記憶せざるも、何がしかのグッズを見付けんとてのことなるべし。

 さて検索の結果、なんと現在(当時)放映中の最新シリーズにこのウインダムが”出演”したることを知り、驚きたり。そのシリーズこそ件の『ウルトラマンZ』なれ。

 折しも翌土曜日の朝に最新話(第5話)放映せらるとて、試みに視聴せり。否、正確には、その前に予習せんとてYouTubeにて公式に無料公開(当時)せられたる第1、3、4話を見、残る第2話もバンダイチャンネルに課金して視聴せり。速やかに魅了せられたりと言ふべし。

 なほ第1話は現在も無料公開中なり。質高きものなり、優れたオープニングと言ふべし。


『ウルトラマンZ』第1話 特別配信「ご唱和ください、我の名を!」 -公式配信- "ULTRAMAN Z" Episode 1 -Official-

 さてその後、『ウルトラマンZ』はドンドン人気を上昇せさせ、「ネット流行語 100」なるものの第6位を占むるまでに至れり。

 本作の魅力はいづくに有りや。"昭和世代"に馴染みあるキャラクター多きことは、確かに一因たるべし。主人公は無論ウルトラマンZなるが、彼は様々なるウルトラマンの力を借りてパワーアップす。ウルトラマン、セブン、エース、タロウ、レオといった御仁也。また怪獣も積極的にこの時期の怪獣を取り込めり。『ウルトラQ』からペギラカネゴン、ケムール人等々、『マン』からゴモラレッドキングブルトン等、『セブン』からキングジョー(無論ウインダムも)と言ひたる具合也。これらは、いはゆる昭和ウルトラシリーズ世代のファンを引き寄するに以て余り有り。

 されど、本作が吾人を魅了せる理由はそれのみに非ず。

 例へば、特撮の面白さも重要也。吾人は特撮の戦闘の面白さは光線類よりもプロレス的取っ組み合ひに在りと考ふる者なるが、その点、ウルトラマンZが幾つかの姿にバージョンアップする中で、ベータスマッシュ(懐かしのウルトラマンゼアスに似たる姿也)はまさしくプロレスをそのまま採り入れたるファイティング・スタイルにて吾人の好むところ也。また戦闘中はカメラワークの面白さにも唸らせらるること多かり。CGを効果的に用ゐながらも特撮を追求せる点、好感を持てり。

 加之(しかのみならず)、物語と登場人物との質も高し。

 殊に主人公ハルキの魅力大なるは特筆に値す。彼の純朴快活なるキャラクターが作品に寄与するところ極めて大なりと言ふべし。また彼が怪獣退治といふ任務の是非に苦悩したるくだり(数話を費やせり)には大いに引き込まれたり。

 この部分はシリアスな調子なりしが、全体的には大いに明るいムードを持ちたる作品にして、「楽しきウルトラマン」也と言ふべし。無論すべての話傑作なりと言ふにはあらねど、総じて言はば、三分の二ほどの話は吾人にとりて充分楽しむに足るものなりきと記憶す。

 これを書きたる本日、本編は最終話(25話)を迎へたれど、最終2話の盛り上がりもまた極めて特筆すべきあり。ここに記さざるも、いはゆるグッと来るポイント、熱きポイント随所にありて、大いに満足せるクライマックス/エンディングなりき。

 

 なほ余談ながら、そもそもの視聴のきっかけたるウインダムの活躍は、残念ながら吾人の期待には及ばざりき。ウインダムの魅力は、張り切りたれどもなかなか成功せざる、ドジなる愛嬌に在りとす。『ウルトラセブン』第1話「姿なき挑戦者」や第24話「北へ還れ!」を見られよかし。

 しかるに本作のウインダム(カプセル怪獣にはあらで特空機(ロボット兵器)として登場せり)は、格好良くはあれど動きに愛嬌乏し、むしろ愛嬌は別の特空機なるセブンガーが存分に担ひたれば也。このセブンガーもまた本作の魅力の一因たること疑ひなければ、人気を受けてグッズが色々と販売せらるるも尤もなれど、望むべくんばウインダムのグッズも多く有らまほしき也。ソフビのみならで高級路線のフィギュアもあらばやと思ふ。

 

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アマビヱに非ず

 

 

贅沢とは何ぞや

 諸賢は「週末の贅沢」を有し給ふや。

 必ずしも快調ならざる日々のために疲労せる精神にリセットを掛け、来たる翌週に立ち向かはんために、これ多かれ少なかれ必要なる一作用ならん。贅沢として、ある人は高級の酒を一献傾くべし、ある人は甘き菓子を自らに許すべし。また遊興の場に足を運ぶ人もあるべし。

 吾人にも週末の一贅沢有り。「風呂の湯量を増す」是也。

 金曜日には自動給湯器の設定を変へて湯量を一段階アップす。之によりて大いなる満足を感ずることを得る也。

 この増量は、「毎日に非ざる」こと要点也とす。満足感の原因は、湯の多き自体には在らずして、日常と比較してランクアップせるを認識するに在れば也。これ贅沢の本質と言ふべし。


 それはそれとて、子供の時分にはよもや「風呂の湯の量」が贅沢の要素と成らんとは想像にだに及ばざりき。親元を離れ、湯が自らの裁量下に置かれしに伴ひて気付くに至れる真実也。吾人思へらく、贅沢は、制限下に在りながら裁量を発揮するによりて得らるるものならん。