文語文 練習帳

文語文を用ゐてエッセイ的の文章をつづる練習帳。

「~してくれる」をいかに言ふか

 文語文で「~してくれる」はいかに言ふべきか。

 口語の「くれる」は文語文法では「くる」(下二段活用)となると推論せらる。しかるに「~してくる(連用形+て 呉る)」はやや不整合に思はる。補助動詞が「して」に接続せることが口語的に響けば也(類例:~しておく ← ~しおく)。されば、「て」を抜きて「連用形+くる」かと思はる。

 さて実例は如何。文語文中の「くれる」と言へば、先づは松任谷由実「春よ、来い」の「愛をくれし君の 懐かしき声がする」が思ひ出さるるも、これは本動詞用法也。補助動詞はいかなりやと「日本語歴史コーパス 明治・大正編」にて検索せるに、「進め呉れたるは好けれど」「救ひくれたる厚恩」の如き例見えたり。則ち動詞の連用形に直接せり。

 但し例数はごく少なし。さは言へ、「くれる(くる)」はいはゆる「やりもらひ」の表現にて、現代の言語生活にて極めて重要な役割を担へり。さればいかに文語文とて、之を全く省きて文章を綴るは困難ならんと思はる。

 より多くの例を実見したくはあれど、差し当り「連用形+呉る」を用ゐんとす。

 

 

通勤減少の得失

 コロナ禍によりて通勤の頻度激減す。吾人は従来通勤に片道約七十分を要したれば、往復分にて約二時間を一日に得たる算用也。豈に慶ばしからざらんや。

 されど、浮きたる時間にて新たに何を成したる歟と自問せるに、思ひ至ること絶えて無きなるは我ながら不思議也。恐るらくは睡眠時間とネットサーフィンとに主に充当せらるらし。

 一方で通勤減少には弊害有り。吾人は通勤に徒歩と電車とを併用せるが、この電車内は吾人にとりて最も本読み・書類読みの捗れる空間也。スマートフォンを持たざる吾人にとりてインターネットの誘惑より離るることを得る貴重なる状況なれば也。よりて電車に乗ること稀となれる結果として一日の読書量減少に至る。通勤時間の浮きたる分にて読めかしと人は言ふべし、それが叶はば苦労無からん。

 加之(しかのみならず)、徒歩に際してはmp3プレイヤーにて音楽を聴くが常なれば、通勤減少によりて音楽鑑賞の時間も自動的に激減せり。より詳しく言はば、家に在りても(殊に仕事中は)音楽は殆ど常に流し居れり。但しそれは飽くまでBGMに留まりて、音楽に専念すること能はず。これまた、通勤時間の浮きたる分にて聴けかしと言ふ人あるべし、回答は繰り返さじ。

 以上を要するに、通勤の減少はインターネットの魔手に無縁となる状況を吾人より奪ひ去れり。得失といふ観点から言はば、得 見え難くして失 明らかなりと言ふべし。


 なほ余談ながら、通勤の機会の減少せるに伴ひて、一回当たりの通勤時間は増加せり。その理由は単純にして、いはゆる「三密」を避けんがため、従来利用し来りし急行を見過ぐし鈍行を利用したるがため也。通勤時間の増加と見ては失なり、読書時間の増加と見ては得なり――この点には未だ判定を下し居らず。

 

 

世代交代

 かれこれ八年来 通学通勤の御供と成り呉れたるmp3プレイヤーいよいよ調子をくづしたるによりて(既に入りたる音源は再生するも、新たに入れたる音源を認識せず)、残念ながらお役御免と相成れり。

 されば跡継ぎを要す。

 かの先代はケンウッドMedia Keg、動画機能も録音機能もラジオも付帯せざる、音楽再生一筋の潔き機器なりき。

 しかるに今はかやうにシンプルなるmp3プレイヤーを見付くること難し、と言はんよりは、mp3プレイヤー自体 凋落の一途を辿れるが現代也。ケンウッドも吾人が彼のMedia Kegを購ひて暫く後にmp3プレイヤー作りから撤退しにけり。

 いまアマゾンで検索するも、ヒットせるはソニーウォークマンを除きては見知らぬメーカーの物のみ。そのウォークマンとて、現行のリーズナブルなる機種は其の評判甚だ悪し。また吾人の好みからすると多機能に過ぎたり。

 されば、なるべく単純にてそれなりに安価なる(望むべくんば音質も宜しき)物を求め、目に付きたる候補を一つ一つ検索し口コミに目を通し、一つの商品に的を絞りたり。COWON iAUDIO U7、是也。

 韓国のメーカーなるらし。COWONは코원にして、漢語と思はるるが何の漢字に対応せるや、知らず。  

 オーディオ機器は店頭で音を確認してから購入を決めたけれど、近所の電器屋に在庫有りとも思ほえず。博打のやうなれど通販にて注文す。
 本体小さくしてコンピュータに直接することを得。それに応じて画面も小さし、よってアルバムジャケットを投影せず。その点 先代より更に簡素と言ふを得べし。但し本機はラジオ機能と録音機能有り。そのためトラック再生までの過程多き(最初に音楽/ラジオ/録音等の選択をする必要有るため)が些か不満なるも、操作性にほぼ不満無し。音質にも文句無し。概して良き買ひ物也と言ふべし。

 この新機 何年役目を務め得るか知られざるも、次の世代交代の時にmp3プレイヤーなる物がなほ現役で販売せられたること、更に期待し難し。このことに鑑みれば、今の内に予備として今一台購入し置かんことも検討せらる。されど数年後にはその予備の存在を忘却したらんこと疑ひなければ、賢明にも留めつ。

 先代の活躍を篤く労ふと共に、ひたぶるに本機の長命を期する已而。

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先代と当代と

 

 

表記の悩み

 文語文にて物を書かむとす、さて表記はいかにすべけんや。

 殊に問題となるは漢字字体と仮名遣ひとならん。さは言へ、前者につきては思ふところ無し。只いはゆる常用漢字をそのまま用ゐるべしと考ふるのみ。他方、仮名遣ひにつきては考へ一定ならず。

 吾人 日常の文章においては現代仮名遣ひを用ゐたり。ただ用ゐるのみならず、いはゆる旧仮名遣ひと比べて之をベターと考ふる者也。さは言へこれは口語文に基づける見解にして、文語文においては改めて検討を要すべし。

 尤も文語文なればとて必ず旧仮名遣ひを伴ふべきにも非ず。さは言へ(本稿「さは言へ」多し。語彙不足を如実に示せり)、文語文には旧仮名遣ひを当て嵌めでは如何にもハマらぬ・キマらぬ感有ることもまた確か也。さりながら旧仮名遣ひを用ゐて如何にも守旧の者と思はるるもスッキリせざるところ有り。

 仮名遣ひの問題はタイピングの問題とも直結す。旧仮名遣ひにては漢字変換に頗る支障有るべし。只これにつきては、新仮名遣ひを旧仮名遣ひに一括変換し呉るる親切なるウェブサイト有る故、之に頼らば簡便也(無論点検は要す)。

 と言ふ訳にて、差し当たり「新仮名遣ひでタイピング→旧仮名遣ひに変換」の手順にて書くこととしたり。但し今後方針変更の可能性もあるべし。

 

 また表記につきては、どの語を漢字に書きどの語を仮名に書くかの問題も有り。この点、既に幾度も悩み居れり。概して言はば、口語文の時よりも漢字がちにしたき気持ち有り(「有り」「也」等この例也)。さりとて文中の両者のバランスに鑑みてその折々で選択すべきものなるべし。

 

 

会議中の部屋掃除

  いはゆるコロナ禍が生活に及ぼしたる影響は人により千差万別なるべし。いま悪影響につきては敢へて目を瞑り比較的良き影響について語らんとせば、吾人にとりては会議のオンライン化ぞその筆頭と思はるる。

 オンライン会議の第一の特徴は言ふまでもなく集合の必要なき点ならむが、之に伴ひて「会議中の行動の自由」生じぬ。是まさしく革命的と言ひて以て足るべし。殊にビデオ表示を強ひられざる場合において、その自由度は最大限に高まりたり。服装は寝間着にて足れり、化粧も要せず。「清潔感」以て笑ひ飛ばすべし。

 また食事も自由也。只に食事自由なるのみならず、ラーメンにまれポテトチップスにまれ、いかほど音立つとも一向に差し支へ無し、更に言はば楽器演奏落語実演等々、積極的に音を立つるさへ可也――ミュートだに確保せられば。また、音声を把握し居らばコンピュータの前に律儀に座り居る必要だに無し。

 業務上の必要ありてオンライン会議に出席(比喩也)せるものの自身に全く無関係なる議題が進む只中において、我々はいかに振る舞ふべけんや。現時点で吾人の導ける最適解は「自室を掃除する」こと也。普段全く食指の動かざる清掃行為なるが、こと会議中には俄かに意欲出づるは不思議也。

 「会議中に掃除す」是コロナ禍以前には想起だにせられざりし一光景と言ひつべし。

 

 

はしがき

  文語文にてエッセイ的の物を書いてみんとす。

 あくまで文語文にして、古文に非ず。則ちいはゆる古典文学作品の様態を真似せんとの志に非ずして、ただ文語文法を用ゐて現代の生活なり何なりを書き記してみんと思ひ至りし也。言はばそのコントラストが文章に興趣を与ふることを期待する訳也。そのため努めて卑近なるトピックを取り上げんとする気持ちまた無きにしも非ず。

 さて文語文は口語文中の文法的要素をただ機械的に置き換ふ(例:である→なり)のみに非ずして、寧ろ文章全体の構造骨格の見直しを要請す。則ち練習を要す。書き進むる内に語彙なり文法なりに変化の生ずることも当然予期せらるる訳也。


 只いづれにせよ継続せられでは話に成らぬ物也。